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o 2000年より ビジターでの負けが多い事から、上下グレーのビジター用ユニフォームを上が黒、下がグレーの新たなユニフォームに変更した。ビジターゲームでマリーンズファンが「黒の軍団」と称されるのは、この頃からである。また、変更された上下グレーのユニフォームはその後2003年にサードユニフォームとして復活した(翌年はセカンドビジターユニフォーム)。このサードユニフォームの胸の文字はホームユニフォームと同じ“M”であり、背番号の上には選手の名前が書かれていないものだった。このユニフォームは金曜日、土曜日、日曜日のビジターゲームに使われ、その他の曜日のビジターゲームでは黒地のユニフォームが使われた。高速バス 2004年〜 - 復帰したバレンタイン監督の提案で、上記のユニフォームにプラスする形で、ダンダラ帯のはいったサンデーユニフォームが登場。初年度は縦縞の入ったホーム用の白パンツとの組み合わせだったが、翌年から法被に合わせてデザインされた新たな白パンツが登場した。 o 2005年よりユニフォームの名称を変更し、法被と白パンツを組み合わせたものを「誠(まこと)」、法被と黒パンツの組み合わせを「侍(さむらい)」、それまで使用されてきた上下縦縞を「戦(いくさ)」とした。また、ビジター用のユニフォームのデザインも変更され、パンツも白パンツに変更した。上下グレーのセカンドビジターユニフォームは廃止され、ビジター用のユニフォームは1種類のみとなった。また、黒地のビジターユニフォームの胸の文字が“Marines”からホームユニフォーム、廃止されたセカンドビジターユニフォームと同じ“M”に変換される。ホームゲームでどのユニフォームを着用するかは、メジャーと同じく先発投手が自由に選んで決められる方式にした。この年の後半にはいい状態でチーム状態が継続していたため、普段は「戦」を選択する清水直行さえ縁起担ぎで「誠」を使用。ポストシーズン(プレーオフ・日本シリーズ・アジアシリーズ)のホームゲームでは「誠」で戦い全勝した。 o しかし、「戦」「誠」が選手に受け入れられたのに対し、「侍」は「格好が悪い」ために選手から敬遠されていた。実際、2005年に公式戦で「侍」が着用されたのは5月14日の対ヤクルト戦の1回だけで、先発のダン・セラフィニがこのユニフォームを選択したが、その試合は3-11と大敗。その後「縁起が悪い」と敬遠されたのか、「侍」を選択した先発投手はいなかった。 2008年より デサント社がオフィシャルサプライヤー契約を締結、デザインをマイナーチェンジした。石垣ホテル・石垣島宿泊 ホーム用は二種類でストライプ入りタイプと、胸ラインを赤色にしたタイプがある。 ビジター用は黒を基調にしたグラデーションタイプのものである。またビジター用ユニフォームには球団ペットマークが浮き上がって出るような形であしらわれている。 先祖帰りのユニフォーム 「千葉ロッテマリーンズ」となった1992年にチームのイメージカラーとしてピンクが登場、球団旗・ペットマーク・ユニフォームに採用された。明るいパステル調のこのピンクは「サンライズピンク」と名付けられ、「陽気さ・親しみやすさ・楽しさを表し、未来へと広がる千葉のイメージをも表している」と説明された。またビジター用ユニフォームの地色となった水色も「カレントブルー」と名付けられ、「千葉県沖合における親潮と黒潮のぶつかり合い」と定義づけられ、球団の千葉に根付いていこうとする意気込みが感じられた。 ところが1995年に監督に就任したボビー・バレンタインはピンクの「Marines」ロゴが入ったユニフォームを「戦う者の着るユニフォームではない」と批判。そのためユニフォームの変更を余儀なくされたが、その時に広岡GMの提案で出来たのが、白地に黒の縦縞で、左胸には黒に銀の縁取りが施された“M”一文字の入ったユニフォームであった(2005年に「戦」と名付けられたユニフォームに当たる)。 黒と紺の違いや“M”の書体の違いこそあったものの「縦縞」「左胸に“M”」が毎日オリオンズ時代のユニフォームと共通していたため年配のファンからは「ユニフォームが先祖帰りを果たした」、また若いファンからは「大リーグのシカゴ・ホワイトソックスみたいで格好いい」と、幅広い年代層に受け入れられるユニフォームとなった。 現在、チームのカラーは「白、黒、赤」とされ、「誠」ユニフォームは白地に黒と赤の模様、ビジターユニフォームは黒字に赤ラインが入ったものである。また、赤味が強く濃い色合いのピンクが2005年より「誠」「侍」着用時に使用の帽子のつばの模様に取り入れられた。 マリーンズファン・応援スタイル マリーンズファンを参照札幌 ビジネスホテル スポンサー ユニフォーム右胸 ハートフォード生命保険(オフィシャルスポンサー、2007年度) パンツ左側 君津住宅(同上) ヘルメット右側 クレバリーホーム 歴代本拠地 1950年〜1962年 - 後楽園球場 ※1 1962年〜1972年 - 東京スタジアム ※1 1973年〜1977年 - 宮城球場 ※2 1978年〜1991年 - 川崎球場 1992年〜 - 千葉マリンスタジアム ※1 1962年5月まで後楽園を使用、同年6月より東京スタジアムへ移転。 ※2 東京スタジアムの閉鎖に伴う暫定処置。1973年シーズンは地域保護権を東京都に置き、宮城球場と首都圏の他球団本拠地などで主催公式戦を行った。同年12月21日の実行委員会で翌1974年から暫定的に保護地域を宮城県に移転することが決まり、1974年から1977年の間は同県を保護地域とした。しかし球団事務所は従来と同じく東京都に置き、試合の開催方法も1973年とほぼ同様だった。湘南 不動産 歴代監督 永久欠番 2009年現在永久欠番は無い。 準永久欠番 #8 有藤道世(1987年〜1991年)。元は永久欠番だが、千葉移転後、永久欠番ではなくなる。現在は今江敏晃がつけている。 #26 マリーンズ・ファン北海道旅行 千葉ロッテマリーンズは2005年度以降、背番号26を東北楽天ゴールデンイーグルスの10 番同様にファンのための欠番(1試合に出場登録できる、すなわちベンチ入りする25人の選手に次ぐ26人目の支配下選手の意味)としている(一軍にはシーズン中は28人(うち3人―多くは登板予定のない投手―はオフになる)、日本シリーズ中は40人の登録が可能)。ちなみに最後に26を着用した選手は酒井泰志(2003年〜2004年)。 試合中はダッグアウトの壁に背番号26・個人ネーム無しのユニフォームがハンガーで掛けられており、試合に勝った時にはヒーローインタビューを受けた選手がファンへの感謝を込めてそのユニフォームをファンの前に掲げる(ユニフォームはマーくんが掲げることもあり、2006年カルビープロ野球チップスカードでは、26番のユニフォームを掲げたマーくんの写真がチェックリストに使われている)。 2006年からはこれにちなみ、ファンクラブ制度を大幅にリニューアル、TEAM26と命名される。 歴代の球団歌 わがオリオンズ(毎日球団の歌) ビバ!オリオンズ! WE LOVE MARINES 主なキャンプ地 1軍春季キャンプ 鹿児島市県立鴨池球場ほか(1972年〜1995年、1997年〜2007年) アメリカ合衆国・アリゾナ州ピオリア(1995年〜1998年) オーストラリア・ジーロング(2006年〜2007年) 沖縄県石垣市石垣市営球場(2008年〜) 千葉県鴨川市総合運動施設(2008年ファーム) 鹿児島県薩摩川内市総合運動公園(同) キーワード 幻の信任投票沖縄旅行 詳細は西本幸雄を参照 西本幸雄が阪急監督時代の1966年に信任投票を行ったのはあまりにも有名だが、実は大毎監督だった1960年にも似たような事件が起きた。 最長試合 1969年10月10日、大阪・日生球場での近鉄戦のダブルヘッダー第2試合は試合時間が5時間15分(4-4のまま決着付かず延長13回、当時の規則に基づき時間切れ引き分け)となり、当時の最長試合時間となった。5時間超えは当時の日本プロ野球初の出来事でもあった。 さらに参考記録ではあるが1981年のプレーオフ、川崎球場での日本ハムとの第1戦では9回の最長試合時間記録である5時間17分の大熱戦を展開したが、やはり4-4の引き分けに終わった。